夏のかたみ

夏、
ひとりの少年が桟橋から湖に飛び込んだ。
顔を出すと岸辺に向かっておおげさに片手を振って、
それから水中に消えた。
大きな波紋の花が咲いてしぼんだ。
風はやみ、
朽ちかけたベンチに動悸と耳鳴りがよどみ、
わたしは、
秒針を指でさすりながら驚きと不安にけおされていた。

やがて湖面すれすれに白い鳥がまっすぐな影を落とし、
空に飛び立った。
まるでそれが合図のように、
水しぶきを散りばめて少年が浮かび上がった。
皓歯がさすように光った。

体じゅうに水の流れをつくりながら、
少年が歌うように言った。

水中には階段があるんだ。
一歩おりるごとに緑色は濃くなって、水は冷たくなって、
時を遡っているような感じにおそわれてしまう。
階段をおりきると、そこに大きな丸い石があった。

わたしは少年の横顔をぬすみ見た。
湖の果て、
こんもり茂った森、
あるいはその上に広がる湧き立つ雲をじっと見つめていた。

その石は黄土色で、ところどころに黒い斑点があった。
ざらざらした地肌にさわると悪寒がはしった。
いまにも岩はまっぷたつに割れて、
なかから黒い廃液があふれ出て、
拭いきれない滲みにまみれそうに思えた。
でも、勇気をふりしぼって取ってきた。

少年は握っていた手を開いた。
そこにはほんの小さな石のかけらがのっていた。
確かに黄土色で黒い斑点があって、
とげとげしく濡れてにぶい光をはなっていた。

少年は小石を指でつまんでわたしの手のひらにうつした。

夏のかたみに。

石のかけらに見入っているまに、
記憶の香りにむせているまに、
水色の風がまきあがり、
すでに少年のすがたはかき消えていた。

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