かぐわしさを

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「クレオパトラの夢」を聴いていると
きゅうに
夢を払いのけるにおいが漂ってきます
かぐわしい花の香りなどではなくて
思わず顔をそむけたくなる
いやな臭い

そうです
その臭いは

怒鳴り声で呼び出され
おどおどして二階に上がって
ぼくは障子戸をあけながら

息を止めます

畳に敷かれた蒲団と
床の間の調度から

『リンゴを買ってこい』と
命じるおまえから

パジャマと
吐く息と
肉体のわずかな動きの隅々から

なにもかもに沁みついて
なにもかもにからみついてきます
たとえようのない
悪臭の流れ

ぼくは息を止めたまま部屋を出てから
いっきに息を荒だて肩をはげしく上下させ
それでも階段をそっと下りるのです

きっと
わたしの嗅覚だけが反応していたのかもしれません

なのにいま
曲にうかれてシャツを着替えているとき
その臭いがおそってきて
わたしはすさまじい嫌悪感にみまわれたのです

慌ててシャツを脱ぎ
口を閉じそのにおいをかぎます

ただ
箪笥から久しぶりに取り出したせいで
湿っぽい匂いがこもっていますが
あの臭いではありません
手も腕も
窓の外からの潮の香りにみちています

つい思い出に引きこまれ
悲しみにとらわれてしまいましたが
わたしがいるこの部屋にはあの異臭はこもってはいません

あの臭いを例えることができるでしょうか
湿っぽさはあるものの
酸っぱいような
甘いような
ものの腐りかけたような

そういえば皮の裂けたリンゴ

ぱさぱさのリンゴを買ってきて
『取りかえてこい』とおまえに怒鳴られて
外に出て立ち止まり
電柱にかかった笠つきの裸電球を見上げ
それから手もとのリンゴを見つめます

ぼくは
幼いながら
『取りかえることなどできるのかしら』と
途方にくれて

目をつむり
頭をふって『いやいや』をして
臭いの間近な派生にとりつかれてしまいます

嗅覚のたよりなさ

触覚や視覚はいつまでたっても鮮やかに残り続けるのに
においは
かすかな街灯のあかりの届かぬ先で闇にまみれて
密かにこもっていて
ある日ある時
まるで見計らったように忍びよってくるのです

「クレオパトラの夢」の
なまめかしい香りが契機になったのでしょうか

ひとときの
はかなくも耐えがたい臭いをくゆらせ
切ないイメージを白黒で描こうとも

わたしは
半袖シャツに漂白剤と防臭剤をかけていっきに洗って
ベランダで
五月の末の風と耳からあふれる音楽のかぐわしさを大きくすいこみます







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この記事へのコメント

ダンデ
2021年05月30日 06:45
子供の頃の記憶ですか?と聞くのも野暮ですが、
なんだかすごく共感を覚えます。
親と子の抗えない力関係に。

父と決して書かないところに、
救いがあると思います。

2021年05月30日 11:07
ダンデさん

子どもの頃の、特に悲しい思いをしたときの記憶って、
ところどころ欠けているところがあっても、
とても鮮明によみがえってくることがありますね。
最近のことには記憶は、あいまいですが(汗)・・・。

コメント、ありがとうございます。
かかと
2021年05月31日 11:22
この詩のタイトルに「かぐわしさを」と付けられるのが素敵です。
幼い頃の思い出は、視覚、触覚、嗅覚によってふいに鮮やかに
蘇ってきます。そんな時、頭を振ってイヤイヤと同時に、声にも
出てしまって「イヤ!」と叫んでしまいます。
ひらひらとさんの所だから何でも書けますが、「幼い頃に楽しく
なければ、大人になっても楽しくないよ」と半ば信じている私は
よその家の子になることと、記憶喪失になることに憧れていました。
暗いコメントすみません。
深夜にラジオから流れるジャズは、私になぜか恐怖を与えました。今は大好きな音楽です。
2021年05月31日 13:16
かかとさん

わたしは小学生時代は家でも学校でもいじめられっ子(頭はコブだらけ)で、
それが中学生時代にはどちらもピッタとなくなり、
どうじに苦渋の思い出はほとんどなくなりました。
でもかかとさんのおっしゃる、
「幼い頃に楽しくなければ、大人になっても楽しくないよ」
その気持ちはよくわかります。
学生時代はクスリで憂さを晴らし、
今はため息ばかりの日々をすごしています。

かかとさんにはブログを読むたびに
心の強さを感じます(僭越ですが・・・)。

胸にしみる貴重なコメント、ありがとうございます。
ゆらり人
2021年06月03日 15:01
この匂いは決して拭いきれないでしょうね。
ある時は一瞬消えていても、又何かの時に深い所から浸み出くるのでしょう。
 そんな一瞬が沢山あり、そいつに出させる時を与えないほどの事が有ればいいいですね。
でもこうして吐き出すことが、その匂いも薄れてさせていくかもしれません。
 なんでも吐き出してくださいね、いくらでも聞き留めたいと思います。
頓珍漢なコメントで・・・・。

 
2021年06月03日 17:42
ゆらり人さん

こんな臭いが急にただようなんて、
わたし自身、意外で戸惑ってしまって、
でも訳を探ると(吐き出すと)、あれこれ思い出がよみがえってきて、
良かれ悪しかれ懐かしく、
とても純だった自分があったことに驚いてしまいます。

コメント、ありがとうございます。